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人と自然のあり方を模索 作品の精神性とアイデンティティ

芸術家・写真家
シーズン・ラオ劉善恆さん

雪の丘に立つ葉を落とした一本の木。雪原の向こうの山々。降りしきる雪の道を歩く人影。北海道に生まれ育った者にとってはごくありふれた風景のはずだが、彼のカメラを通し、手漉き紙にプリントされたこれらの作品は、一幅の水墨画・山水画を連想させる。厳しい冬の風景なのに、どこかしら温かく、柔らかい。シーズン・ラオ(劉善恆)さん。1987年マカオ生まれ。マカオはもともと鄙びた漁村だったが、大航海時代から明・清とポルトガル、日本などとの貿易や伝教の窓口として栄えた。アヘン戦争後にポルトガルの統治下に入り、1999年施政権が中国に返還された。そのころからマカオが変わり始める。中国本土からの投資や移民が増えたことで、風土習慣が現代中国風になり、言語(広東語から中国語へ)、文字(繁体字から簡体字へ)も少しずつ変化していく。マカオの文化的転位に気づき、マカオ人のアイデンティティについて考え始めた。

中国資本の不動産投機により古い建物が大規模に取り壊されていた。ラオさんの生家を含む13軒の築160年の歴史的建造物にも再開発計画が持ち上がった。マカオ理工大学マルチメディア科に在学中だったラオさんは、記録を残したいという想いからビデオカメラとスチールカメラを持ち込み、映像ドキュメンタリーを制作。翌年、作品集「Pateo do Mungo百年菉荳圍」を出版した。作品が反響を呼ぶ。古い建物の価値が再評価され、取り壊しが中止された。芸術活動に付加価値を与えることで社会に貢献できることに気づくきっかけとなった。

かつてマカオがのどかな漁村だったころの面影を求めて、各国の小さな町を訪ね歩いた。2009年の冬、初めて北海道伊達市を訪れた。そこには火山から至近の土地で、自然と調和し、生き物と共存する人々の暮らしがあった。透明な空、やすらぎの大地、自然の澄み切った空気、動植物や自然現象、さらには人工物などあらゆるものにカムイが宿るとするアイヌ民族の世界観を感じた。雪に覆われた厳しい風景の中でも、人々の暮らしぶりにはどこか温かみを感じる。遠い異国で感じた心の安らぎ。その感動から、北海道に半分拠点を移すことを決意した。夕張、美唄には取り壊されず放置された炭鉱跡があった。それらの建物は雪に抱かれ、喧騒が終った後の静寂、浄化、安寧を感じさせた。雪の持つ厳しさと優しさ。「しんしんと降る雪の中に身をおくと、心が洗われるようでした。心の中が真っ白になり、眼前の風景と感情が同化し、不可分のものとなっていく」作品はその心象風景を表現する。単に美しい北海道を写したものではない。背後に深い精神性が垣間見える。北海道の炭鉱町は、今、グローバル資本のカジノ侵略により急激に変貌するマカオの姿に重なる。そして、否応なく向き合わざるを得ない人と自然のあり方を模索すること。それはマカオに生を受けた芸術家としてのアイデンティティを模索することでもある。

「縄文人にとって人間も自然の一部であることは自明でした。古代中国の道家老子は無為自然を説きました。禅宗は日本人の自然愛を洗練させたと言われます。フランスの哲学者フェリックス・ガタリは『エコゾフィー』という言葉で自然環境と社会と人間の3つのエコロジーの統合という視点を提示しました。これらの自然観・世界観は私に大きな影響を与えています」その作品意識が手漉き紙へのプリントという表現方法にも表れている。彼の作品のため職人とともに特殊な技法で開発した紙に、試行錯誤しながら編み出した印刷技術でプリントする。一枚一枚違う繊維の表情を持つ天然素材は、作品に優しさ、柔らかさを加えている。

「彫刻家がマテリアルを選び、画家がキャンバスや紙を選ぶのと同じように、自分の作品表現として写真と手漉き紙を選びました。これは私の芸術作品のアイデンティティです」

現在は札幌のデザイン会社に所属しながら企画展、芸術祭、アートフェアなどに出品し、作品を発表している。昨年はイタリアの大聖堂博物館が企画した「L'UOMO NEL PAESAGGIO」に参加、作品 集を出版。中国平遥国際写真祭のマカオ館にマカオ代表写 真家として出展。ヴェネツィア・ビエンナーレ2015ではマカオの推薦芸術家としてオープニングに招かれ、作品はマカオ芸術博物館に収蔵されている。今年の第回さっぽろ雪まつりHBCマカオ広場彼のコラボを開催。来年にはフィレンツェにある美術館で「ポストコロニアル理論」をテーマとした企画展に招かれ、企画のキュレーターは彼の地の大学での関連の研究ワークショップを始める。

「人間は自分が選んだわけではない特定の場所・時間・状況に『放り出され』ます。人生の目的はその空間と時間に落とし込まれた意味を理解することです。自分の人生を使って何かをしなければならないという責任を感じています。豊かな素材を与えられている以上、人生は本質的に意味がある。自分の故郷やお世話になった地域に、作品として何かメッセージを残せたらいいですね」